とりこです。
発達科学の先人たち、やっと女性が出てきた嬉しい!
同じ女性として「すげーな」の一言。というわけで今回のメモ「モンテッソーリ」について。
このブーツ形した国をずっとフランスだと思い込んでました、本当にごめんなさい。
正解はイタリア。小学生からやり直したいわ、まじで。イタリアが最近まで男性社会だったことも、もちろん知りませんでした。
モンテッソーリって?
マリーア・モンテッソーリ(1870-1952)イタリアの医師であり、教育者。モンテッソーリ教育法の開発者として有名。
イタリアの紙幣でもおなじみだった(教科書に写真載ってたことに気付いたのはブログ書いている最中。)
公務員のパパと教育ママのもとで育てられ、ローマ大学へ。自然科学専攻ののち生物学に興味持ち、医学部に進学(女性初)。
当時のイタリアは性差別が色濃く残っていたのだとか。
1896年、最優秀の成績で卒業(26歳)。女性としてイタリア初の医学博士号取得。卒業後、医師としてローマ大学附属精神病院へ。
当時は女性の医師ポストがほとんどなくて、唯一働けた場所がこちらだったとか。
病院内で知的障害の子が床に落ちたパンくずで遊ぶ姿に目を留め、知的障害児でも知能の向上が見られると確信。
これが感覚教育の手がかりとなった。
1904年医師を辞めローマ大学に戻って講師&学生に。哲学・生理学・精神医学・心理学の研究没頭。ここで独自の幼児教育法開発。
1907年(37歳)「子どもの家」開設。3~7歳の子どもたちに対して約1年間の実践を行う。
1909年(39歳)『子どもの家』出版。子どもの家が作られて2年後。
1913年には全米に100余りのモンテッソーリスクールができたんだとか。1916年ブーム終了、1950年再ブーム。
~1936年までスペイン、その後オランダに移住。1952年、脳溢血で死亡(81歳)。
20世紀初頭における女性の社会進出の最先鋒として、男性と同等の地位を獲得&シングルマザー先駆け。
『子どもの発見』について
1909年初版。モンテッソーリ39歳。
随所に「子どもの家」「自然」「教材」「感覚教育」が入っている所がポイント。3歳から6歳までの形成時期に感覚教育を行うべきであると。
モンテッソーリ教育法の中でも知られているのが「静粛」ちなみに2つの目標が、
- 生物学的目的
- 社会的目的
自然との接触を大事にしたことはもちろん、社会的な部分も抑えるべき、というのがモンテッソーリ教育法でいいのかな。仕事や作業についても本の中で取り上げられてます。
子どもたちが生まれながらにして持つ内在的能力と、その可能性をなによりも信じていたモンテッソーリ。
2度目のローマ大学時代、「ジャン・イタール」「エドゥアール・セガン」の翻訳。
影響を受けた主なふたりでいいのかな。
精神的な遅滞の問題は医学的問題より教育の問題。治療ではなく、教育で解決されるべき問題であると。イタール「アヴェロンの野生児」この思想が明確に打ち出されていたとか。
世界中に広まったモンテッソーリ教育法
1935年頃政治的配慮で活動禁止になったり、1950年代後半アメリカで「モンテッソーリ・リバイバル」なんてのがあったり、ジョンソン大統領時代にも功績を残した、でいいのかな。
ノーベル平和賞候補3回ノミネート。
100年経って今もなお、議論の対象になる「モンテッソーリ教育法」
教育法に終着点はないということでしょうか。
学んだことまとめてみた『発達科学の先人たち(’16)』【放送大学】同じ女性として
当時の働く女性は今よりずっとずっと大変だったでしょう、男性社会の中で働くなら尚更。
とんでもなくインパクトを与える人がいたおかげで、同じ女性として「働くこと」が身近になったんじゃないかなー。どうかなー。
シングルマザーというのにも驚きましたが、人にも恵まれていた(逆もしかり)のではないかと勝手に想像。エネルギッシュな女性大好き。
元々めちゃくちゃ賢くて優秀だった部分も大きいと思いますが。モンテッソーリ知らなくてごめんなさい、とりこでした。