やっと女性登場!モンテッソーリ『発達科学の先人たち(’16)』

とりこです。

発達科学の先人たち、やっと女性が出てきた嬉しい!

同じ女性として「すげーな」の一言。というわけで今回のメモ「モンテッソーリ」について。

このブーツ形した国をずっとフランスだと思い込んでました、本当にごめんなさい。

正解はイタリア。小学生からやり直したいわ、まじで。イタリアが最近まで男性社会だったことも、もちろん知りませんでした。

モンテッソーリって?

マリーア・モンテッソーリ(1870-1952)イタリアの医師であり、教育者。モンテッソーリ教育法の開発者として有名。

イタリアの紙幣でもおなじみだった(教科書に写真載ってたことに気付いたのはブログ書いている最中。)

公務員のパパと教育ママのもとで育てられ、ローマ大学へ。自然科学専攻ののち生物学に興味持ち、医学部に進学(女性初)。

当時のイタリアは性差別が色濃く残っていたのだとか。

1896年、最優秀の成績で卒業(26歳)。女性としてイタリア初の医学博士号取得。卒業後、医師としてローマ大学附属精神病院へ。

当時は女性の医師ポストがほとんどなくて、唯一働けた場所がこちらだったとか。

病院内で知的障害の子が床に落ちたパンくずで遊ぶ姿に目を留め、知的障害児でも知能の向上が見られると確信。

これが感覚教育の手がかりとなった。

1904年医師を辞めローマ大学に戻って講師&学生に。哲学・生理学・精神医学・心理学の研究没頭。ここで独自の幼児教育法開発。

1907年(37歳)「子どもの家」開設。3~7歳の子どもたちに対して約1年間の実践を行う。

1909年(39歳)『子どもの家』出版。子どもの家が作られて2年後。

1913年には全米に100余りのモンテッソーリスクールができたんだとか。1916年ブーム終了、1950年再ブーム。

~1936年までスペイン、その後オランダに移住。1952年、脳溢血で死亡(81歳)。

20世紀初頭における女性の社会進出の最先鋒として、男性と同等の地位を獲得&シングルマザー先駆け。

『子どもの発見』について

1909年初版。モンテッソーリ39歳。

随所に「子どもの家」「自然」「教材」「感覚教育」が入っている所がポイント。3歳から6歳までの形成時期に感覚教育を行うべきであると。

モンテッソーリ教育法の中でも知られているのが「静粛」ちなみに2つの目標が、

  • 生物学的目的
  • 社会的目的

自然との接触を大事にしたことはもちろん、社会的な部分も抑えるべき、というのがモンテッソーリ教育法でいいのかな。仕事や作業についても本の中で取り上げられてます。

子どもたちが生まれながらにして持つ内在的能力と、その可能性をなによりも信じていたモンテッソーリ。

2度目のローマ大学時代、「ジャン・イタール」「エドゥアール・セガン」の翻訳。

影響を受けた主なふたりでいいのかな。

精神的な遅滞の問題は医学的問題より教育の問題。治療ではなく、教育で解決されるべき問題であると。イタール「アヴェロンの野生児」この思想が明確に打ち出されていたとか。

世界中に広まったモンテッソーリ教育法

1935年頃政治的配慮で活動禁止になったり、1950年代後半アメリカで「モンテッソーリ・リバイバル」なんてのがあったり、ジョンソン大統領時代にも功績を残した、でいいのかな。

ノーベル平和賞候補3回ノミネート。

100年経って今もなお、議論の対象になる「モンテッソーリ教育法」

教育法に終着点はないということでしょうか。

学んだことまとめてみた『発達科学の先人たち(’16)』【放送大学】

同じ女性として

当時の働く女性は今よりずっとずっと大変だったでしょう、男性社会の中で働くなら尚更。

とんでもなくインパクトを与える人がいたおかげで、同じ女性として「働くこと」が身近になったんじゃないかなー。どうかなー。

シングルマザーというのにも驚きましたが、人にも恵まれていた(逆もしかり)のではないかと勝手に想像。エネルギッシュな女性大好き。

元々めちゃくちゃ賢くて優秀だった部分も大きいと思いますが。モンテッソーリ知らなくてごめんなさい、とりこでした。