とりこです。
書いた便せんをうっかり見返してみた。ここまでの文章は文字の形が好きじゃなくて、ここからの文字がいい。
そんな新しい発見を見つけるのが好き。
最初の1枚目のイマイチな始まりと、2枚目ノリに乗ってる文章と、疲れちゃった3枚目。
見返すと不思議、文字の形違うんですよ。最初から最後まで綺麗な人って羨ましいぞ。
最初から心の中を書き出すことはできないのか
最初の1行からウキウキで書けているのは稀かも?最近書いた手紙は、1枚目終盤から右手が加速、2枚目「いいかんじじゃーん」3枚目、もーそろそろ〆よっかなーぐらいな。
文字のノリ具合と心の中は連動してるのかなって思った。
手が温まってきたともいうのか
手が冷たいと納得いく文字書けません。いい文字って綺麗な文字というわけじゃなくて、自分の納得いく好きな文字というのか。
心の中が現れるのかもしれない、文字に。
集中力を喫茶店に置いてきた好きな人のことを考えている時
例えば好きな人に何を伝えたいのか「その人について書くとき」か、「自分がその人に対していまどう思ってるか」などなど。
自分の心情書くときのほうがいい時もあれば、その人の良さや人柄、仕事について書く時もあったり。
心の中が相手に向いているのか、自分に向いているのか。人対人、自分対相手、相手対自分。
この文章書きながら「今日の手紙は何について書きたいんだろう」考えたことなかったかもしれない。
報告か、提案・企画か、反省文、お礼か、感想か
手紙にタイトル付けないから、あやふやになる部分あるかもしれない。
ポストに投函する前に「この手紙は何だ?」次から考えてもいいかも。
知らないは嫌いを生み出し、知るはどうでもいいを生み出す文字が躍っている時
便せんの文字が生きている時「今一番書きたいことなのかもしれない」書ききってからわかることも。
難しく考えずに書いてみればいいのかもしれない。見返す勇気も大事なんだなって、ブログ書きながら思ったとりこでした。