『道徳教育論』の一部を読んで思ったこと【おさらい】

とりこです。

『発達科学の先人たち(’16)』おさらい。『道徳教育論』についてさっぱりでした。

デュルケムって?

さらりとデュルケムについて『発達科学の先人たち(’16)』

フランスの社会学者、エミール・デュルケム(1858~1917)。亡くなった後に刊行されたのが『道徳教育論』。1902年からの講義録ってことでいいんだよね。

内容は道徳性の教育に関するもの。

亡くなったのが1917年だから、約15年分の講義録。けっこうなボリュームじゃないでしょうか。

教育の講義が半分以上を占めていて(印刷教材では3分の2と書いてある)社会における教育の意味を重要視していたとか。

道徳教育の柱を宗教から社会へ置き換えることを追求したってことで。

デュケルム曰く、教育学は心理学から導かれる学問ではない。今までの教育学の議論は個人的すぎる。これからは個人ではなく「社会」という存在のもと、働き手たちを「教育」という手段で準備する必要がある、とな。

  • 教育の目的は個々に「社会的存在」を内部に形成すること

個人と集団の話でいいのかな。今まではバラバラだったけど、まとまりが必要でないかい?みたいな。

道徳性の3つの要素

  • 規律の精神
  • 集団社会への愛着
  • 道徳を理解する知性

ほうほう「規則を無視した人は道徳に欠陥がある」とか「連帯感大事」とか、これって社会じゃなくてどこぞの会社の話?

この道徳教育を小学校段階が最適だぜ、みたいな。会社教育を小学生時代から、熱いな。悪く言えば洗脳っぽい?

当時のフランスでこの考え方は革命的だったのかな。心の中にいる神から別物(社会?)に置き換えるって話だよね。

ここから私の時代の話

30年前、小学校の全校集会は校庭全員参加、立ったまま校長先生の長い話を聞くのが当たり前の毎週月曜日。

めちゃくちゃしんどかった、よく誰も倒れずに話聞いていたなーと。

30年後、今の子どもはコロナ禍もあってか、校庭ではなく教室で待機の月曜日の朝。スピーカーから流れる(パソコンって言ってたっけな?)校長先生の声を聞くんだとか。これ全校集会に入るの?

厳しい部分と緩い部分

教育というのは時代に応じたものがあるらしく、昔も今も国は一生懸命頑張って考えてくれてるみたい。

最近でいえば、参観日でないのに親が教室入って、子どもを見守るなんてことも。(一部の親限定っぽいですが)。

30年前は考えられなかった。

小学生にノートパソコン1人1台の時代。ちゃんとした道徳教育の下で管理しないと大変なことになるよね、みたいな。

個人持ちのスマホもそうか。時代に合わせた道徳教育が求められるんでしょうね、よくわかんない。

学んだことまとめてみた『発達科学の先人たち(’16)』【放送大学】

大変なのは先生ですよ

話戻って教師の話。『道徳教育論』にもちらりと教師について触れてました。

現代の先生ってむちゃくちゃ大変だと思う。ちょうど『心理と教育へのいざない』で学校教育について学んでますが(振り返り)、先生自身の勉強する時間取れてない問題とか、コロナ禍でわちゃわちゃとか、見えていない部分での負担は相当だと思います。

先生、いつもありがとうございます!

で、なんだっけ?

道徳って何だろうね、これから勉強していきます。とりこでした。