とりこです。
発達科学の先人たち、印象に残った人のひとり「清水義弘」。
ちょうど100年ぐらい前に生まれた方、生まれた直後に流行ったのがスペイン風邪だったとか。大変な時代を生き抜いてきた男が語る「教育とは何か」。
清水義弘
日本の教育社会学者、1917年(大正6年)佐賀県生まれ。石橋家は大家族で11人兄弟姉妹いたとか。昔は当たり前だったのかな?
1948年に清水萬里子と結婚して、清水姓に。
好きな学者はエミール・デュルケム。
さらりとデュルケムについて『発達科学の先人たち(’16)』1886年(明治19年)小学校令公布。
清水(当時石橋)義弘は4年生義務教育の尋常小学校に就学。当時の小学校卒業は学歴として評価されたんだとか。
話変わりますが『おちょやん』のモデル浪花千栄子は清水義弘生まれる10年前、1907年生まれ。時代背景的にはそこまで変わらない?小学校令公布されても学校行っていない子、浪花千栄子がそのひとり(奉公に出された)。
あとは『エール』のモデル古関裕而は1909年生まれ。古関は小学校行ってます(お坊ちゃんだった)。
視聴動画では『おしん』の話出てましたが、見たことないの…
話し戻して。
結婚を機に長崎移住。あれ?この後東京大学助教授から教授になったのかな?1978年退職、名誉教授になって、その後1988年から1998年まで上智大学教授を勤め、2007年逝去。
教育社会学、最初は興味無かったんだとか。
『試験』をざっくり
印刷教材読むと「今も昔もそんなに変わってない」。1957年(昭和32年)に出た本。
戦前・戦後の教育制度は大きく異なりますが、戦後から現在、そこまで何か大きく変わった所あったかな?
あんまりないような、率直な感想。
戦前の入学難には驚きましたが、戦後の入学難は戦後何十年経っても変わらず。
- 入学難の話
- 大学の話
- 試験地獄の話
- 学歴の話
- 学閥の話
- 地域差
- 改革の話
など。
試験の先は(ゴール)就職なんだけど、そこまでの流れあれやそれの話。
今でいう「人生すべて親ガチャで決まる」という話。親を選べなかった結果、40歳前に放送大学入学した人がここに。
学歴を親のせいにするのもあれですが。
私の学生時代の話
私自身、大学受験に行く前の段階の話でしたと。まぁ高校受験の時にもっといい所勉強して行けばいいじゃないと言われたらそれまで。
ダメだ、都立高校(全日制)の学費払うお金親が持ってなかった、たしか。
それはさておき。
東京生まれで良かった
なぜならアルバイトできる場所が多かったから。高校生が学費と家賃払って暮らせるぐらいの時給、今でも感謝してる。
25年前、高校生で時給1,000円近く貰える&賄いが少額で食べられたことは奇跡か!?
地方に生まれていたら、違った親のもとで育ったでしょうけど、東京出る選択肢をするような子ではないと思う。
ちなみに都心部に住む何割ぐらいか、大人の歓楽街の近くに住む家族で「おや?」という家族、けっこういたりする。
都心=お金持ちではない。貧乏人もいます、風呂無しアパートもいっぱいあった(さすがに今は減りましたが)。
何のために勉強するか
今の履歴書のままではどこにも採用されない!と思ったのは間違いない。高校卒業の肩書ありますが「定時制」。
面接時になんで定時制?って聞かれて、親に問題あった→「ダメじゃん。」みたいな。
まぁ昔の苦労があるから、こうやって今のほほんと暮らせていけているわけでありまして。
学んだことまとめてみた『発達科学の先人たち(’16)』【放送大学】反骨精神しかない
良くも悪くもこれだな。年々図太くなる精神、歳を取ることは素晴らしい。
というわけで、人生「試験地獄」から強くなるか、「レール」から外れてからどう生きるか。生き方いろいろ。
これからも好き勝手に楽しく行きたいな。というわけでとりこでした。