とりこです。
「認知症と生きる」第6回、久々に登場の井出訓(いでさとし)教授。
今回もざっくりメモです。
認知症を生きる当事者の思い
ダンディなおじさま、井出教授。今回も持ち前の明るさ(!?)で優しい雰囲気で進んでいく講義。
パジャマ着たまま出勤した話を笑顔で語れるメンタルは鋼だと思いました(尊敬)。
当事者とは誰か
- 認知症の診断を受けた本人
- 配偶者や子どもたち、家族
本人だけが当事者ではない、ということ。まずはここがポイント。
予兆があるぞ
- 本人の違和感
- 家族が感じる違和感
本人も違和感を感じながら生活を続けて「あれ?おかしい?」と感じるのだとか。
日常へのほんの些細な違和感の侵入。高齢者の場合、違和感をうまく言葉で表せられないことも多いのだとか。
大きな誤解
- 本人は違和感と戦っている
本人は何もわかっていない、お気楽だ!なんて思わないでほしいと。
家族も違和感を感じる
徐々に違和感、異変、不安が大きくなる。本人だけでなく、家族も徐々に意識が出てくる。その正体はなんだ?
本人だけじゃない、家族も感じてます。
認知症との対峙
- 冷静に分析して受診
- 違和感を感じながらも、もがく人も
いろいろなケースがあるかと思いますが、対峙のきっかけは「日常生活の支障」。
受診時、今までの話・テスト・検査など行なった時の、釈然としない苦い経験が記憶されていることが多いのだとか。
もどかしさの中で辛いのは本人。周りの人が想像力を働かせて理解することが必要。
診断は答え合わせ。腑に落ちる安堵感もあれば、絶望感もあるぞ、と。
診断の先に
診断は終着点でなく、スタート地点。認知症と生きる家族は、診断された本人とは違う形で出会い、向き合い、生きていく。
診断後も本人は診断前と変わらない。診断後に変わるのは周りのみんなだとか。
支えは家族など
家族の支えはもちろん、当事者同士で話をすることも支えになる。
認知症に限らず、同じ経験、同じ思いがある人の言葉は支えになるはず。家族にはわからない苦労めちゃくちゃあるはずだもの。
学んだことまとめてみた『認知症と生きる(’21)』【放送大学】動画視聴で思ったこと
動画で紹介されていた若年性認知症の男性に驚きました。ここまでしっかりお話が出来るのだなと。
ぱっと見て普通の男性、とても病気を持っている人に見えないから、周りの人も余計驚いたのかもしれない。
今でもお仕事をされている話(発症前とは違う内容の業務でいいのかな)、会社の理解と、家族の支え、周りの人の協力や理解があれば、普通に生活することができることに希望が持てた。
ゆっくりと病状が進んでいくことは変わりないですが、一日一日大切に生きていくことがありがたいんだなと。
勉強は中盤戦、まだまだこれから。とりこでした。