とりこです。
発達科学の先人たち、4人目の紹介「ヴント」心理学の先人たちで紹介される中で、ダーウィンの次の人。
ざっくりー。
現代心理学の父「ヴント」
ウィルヘルム・マキシミリアン・ヴント(1832-1920)ドイツ生まれ。早熟で風変わりな少年だったとか。
20歳にハイデルベルク大学で医学を専攻、優秀な成績を収める。しかし医者にならずに生理学研究の道へ進む。
ヴントにとって運命の人
運命の出会い1人目「ヨハンネス・ミューラー(生理実験学の父)」ベルリンでこの方の門下生となった。もう1人は26歳の時に出会う「ヘルマン・フォン・ヘルツホルム」
24歳でハイデルベルク大学で医学の博士号取得→生理学の教授資格ゲット。
運命の出会いその2(26歳)ヘルツホルムがハイデルベルク大学にやってきた。13年間にわたり、同じ研究室で共に研究活動だ。
ここで多くの思想的影響を受けたんだとか。13年も一緒に研究やってたら、そりゃ影響受けるよね。
1871年、ヘルツホルムとのお別れ。ヴントはヘルツホルムの後任として席を譲られた。だがしかし、1875年、ヴント43歳でライプチヒ大学、そこで有名になったんだとか。
心理学実験室を1879年に
心理学史の多くが、この年(1879年)を「新しい学問としての心理学の誕生の年」と言っているんだとか。これ以降、大勢の学生がヴントの下にやってきて研究に明け暮れたってことだよね。
人を助けることよりも、研究の人だったヴント。
ヴントの実験室をお手本に、その後各地で同種の実験室が開設されたとか。実験心理学の父とも呼ばれるヴント、死ぬまでずっとライプチヒの実験室から離れずに生涯を終えたとか(88歳)。
ちなみに教科書で紹介される『民族心理学』書き始めたのは68歳。全10巻、20年費やしたとか?
68歳に書き始めた『民族心理学』
1900年に書き始め、20年頑張った(亡くなったの88歳)。ざっくりと
- 原始人
- トーテム時代
- 英雄時代
- 人類時代
ヴントは人類の歴史を4つの時代に分けて考えていた。視聴した内容はこんな感じかなと。
ヴントが主に関心を抱いたのは,人類全般が人類誕生のころから現代(19世紀の)までの間に,どのような精神の進化(あるいは変化)を遂げてきたことを考察することであった。
発達科学の先人たち(’16)より引用
これからちゃんと教科書読みます、ごめんなさい。人類の精神の発達史を論じてる一冊でいいんだよね。この辺りが発達科学の先人たちと言われる所以かな?
優秀なお弟子さんが多かったヴント
9回で紹介される方がヴントの弟子だったとか。本人自体の研究が特別なにか凄い!と評価された方、というよりは、後世に残る研究につなげるきっかけを作った人だっていってたような。研究範囲があまりにも広かったという話もあるぐらい。
学んだことまとめてみた『発達科学の先人たち(’16)』【放送大学】ざっくりと書いてみました
というわけで今回も自分メモ用にざっくりまとめました。研究大好きおじいちゃん、死ぬまで元気に頑張ってことでいいのかな!?
これからもっと勉強していくとヴントの凄さがわかるのかな?ではでは、とりこでした。