とりこです。
せっかくなので取り組んでみよう!研究課題あれやそれ。ざっくばらんに、適当に綴っていきますのでご了承ください。
2021年4月、勉強始めたばっかりの人間が書きますよ。「認知症をジブンゴトとしてとらえるとはどういうことか考えてみよう」
まず「認知症」とは
一度正常に達した認知機能が後天的な脳の障害によって持続的に低下、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態
身の回りにどれだけの人が認知症なのかを知ること、でしょうか。身近な人の親が認知症だった、なんて最近よく聞く話。知り合いの親御さん、少なくとも3人いますね。
私の親はまだ元気ですが、いつどこで認知症になってもおかしくない、立派なヘビースモーカーだった、それはさておき。
2012年現在、65歳以上7人に1人認知症
2025年予測の認知症高齢者の数は675~730万人なので、2021年現在600万人近くいるのでは?高齢者6人に1人は認知症というシビアですね、はい。
家の前を決まった時間に歩くおばあちゃん、もしかしたらそうなのかもしれない。
恍惚の人を読んでみて思ったこと
50年前の作品!?『恍惚の人(こうこつのひと)』有吉佐和子50年前に書かれた本とは思えない内容。有吉佐和子が10年かけて取材をしたとか。昭和30年頃には家族問題としてあったのでしょう。介護の課題を解決すべきであろう問題。
2021年現在解決したどころでなく、介護で進学できない子どもたちの声が上がっていたりと、立派な社会問題。親は働きに出て、孫が面倒みるって「あれ?家族関係おかしくない?」とかも思いましたが。
家族の闇がちらほら。
ジブンゴトとして
- 家族が認知症になった場合
- 自分自身が認知症になった場合
- 配偶者がなった場合
などなど。
それぞれのケースを考えていかなければならないわけで。私の親はまだ元気ですが、住んでいる地域が違うので「親を呼び寄せる」又は「母と一緒に暮らす」
共に生活することをお互い望んでないので(現在は)、元気なうちにしっかり母と話をすることでしょうか。
仲悪くもないですが、距離感は遠いかもなー。父はいませんので母だけ。
ひとりの人間として問題ある人(母)なので、関わりたくない部分は大きい(恍惚の人の話もそうだったね)。
いつ自分自身が認知症になってもいいように、というか死んでもいいように片付けはこまめにしているつもり。片付けをしてくれる人に負担をかけさせたくない。
30分でゴミ捨て終了できるぐらいにしておきたい。死んだら持ち物の99パーセントはゴミ(重要)。
最近は100均でエンディングノートらしきものが発売されたとかで、家族間で共有するのもひとつですね。
「いつ死んでも」「いつ認知症になっても」あ、このブログの存在、どうしましょう(汗)。
認知症の人になにができるか
前にもどこかで書きましたが、接客業かつ高齢者とお話をする機会は少なくなかった職場環境。6人の高齢者に話しかけられたら、1人は認知症の可能性が十分にあるわけでして。
結論としては、授業を進めて理解していくことじゃないかな。まだ半分も授業進んでいないので、この段階で何を語れるかなんて、何も語れないよ。
65歳以上も働けるようになったこのご時世、働ける人とそうでない人がバッサリと分けられてしまうのかな。
身近にいる67歳女性は気持ちも心も体もめちゃくちゃ若い。お姉さま見てると、認知症という言葉なんて存在しないんじゃないかと思えます。前にも書いたかな。
学んだことまとめてみた『認知症と生きる(’21)』【放送大学】偏見を払拭させること
認知症=徘徊というイメージが強すぎなので「人によってさまざまなんだよ」って、勉強して周りの人に伝えていくことでしょうか。
授業を進めていったあと読み返して、気持ち新たに認知症について考えていけたらと。
認知症問題、勉強ははじまったばかり、とりこでした。