とりこです。
アリストテレスすっ飛ばして、今回メモメモ「貝原益軒」。
貝原益軒ってどんな人?
読み方「かいばら えきけん」
日本におけるアリストテレスなんて言われちゃうの?有名なのは「養生訓」YouTubeでヒットするのはこちら。
放送大学で取り上げているのは「和俗童子訓」。1630年に現在の福岡県で生まれた九州男児。
生涯60冊ほど本を出したんだとか。
読書家、博識。だけじゃなく、足で歩いて目で見て、手で触って時には口で確かめて確認する人だったとか。
書いた本の多くは簡単にわかりやすく執筆して、世の中のたくさんの人に読んでほしい、なんて。
この考えが教えて育てる人だったんじゃないかって。書いてて私がよくわからない。
和俗童子訓は81歳の時に書いた本。益軒の教育論を詰め込んだ代表的著作で、日本で初の教科書とも言われているんだとか。子どもの年齢進行に即した教育内容と、教え方を体系的にまとめてある本は全5巻だぞ。
和俗童子訓の中身は?
超ざっくり。
- 1冊目 子どもの教育について。考え方。
- 2冊目 やや大きくなった子どもの教育について。考え方。
- 3冊目 年齢ごとの教育について。考え方。読書法。
- 4冊目 書写、習字について。
- 5冊目 女子教育について。男子の違いとは。
1・2冊目 教えは幼いうちに、早期に教育を開始する必要がある。親から離れて勉強せよ、でいいのかな。身分にかかわらず、教育は必要である。あとは自分の子どもには教えられないもんなんだよーって。
3冊目 暗唱・複読・孟子は熟読せよ。などなど。
4冊目 漢字・仮名・カタカナの順で学習しようね。いろはじゃないよ、あいうゑをだよって。
5冊目 時代的に教育論が男性向けでなので、時代だよねー。的なあれこれ。後世の『女大学』らしい。
アバウトにもほどがある、このまとめ。
時代背景って?
大坂夏の陣(1615)で戦乱の世の中終了。時代が変わっていく中で生まれた人、貝原益軒(1630~1714)社会が安定していく中で、庶民が学問を受け入れられる余裕が出てきた、でいいのかな?この辺りから学びを得る場所が増えてきて、教育というものが根付いてきたのかな?
教育のあり方が多様化したのは江戸時代中期なんだとか。ちなみに江戸時代は1603年-1868年。徳川時代ですね、はい。1700年ごろ-1750年ごろまでが中期なんだってさ。
ざっくりまとめてみた
ざっくりにも程がある。というわけで、もっと詳しく書けるようになったら追記していこう。貝原益軒おじいちゃん、80歳過ぎて本書いちゃうすげー人ってことで。とりこでした。