とりこです。
さっそく教科書に載っている問題を自分なりにここで書いていこう。
演習問題
通過儀礼が教育の始まりと言われる理由にはどのようなものがあるだろうか。自分自身の経験を振り返ってその意義を考えよう。
心理と教育へのいざないより引用
まず教育とはなにか。相手をより良くする意図をもって働きかける営み、だそう。教育の起源、教育のもとは人生の節目に行われる「通過儀礼」にまでさかのぼるんだとか。
理由ねぇ…
まずは教科書に載っている新人教育という文字、自身の20年前を思い出してみよう。
会社の新人教育どうだったか
今の職場で働き始めて20年弱、あの時はここまでしぶとく働いていると思わなかった。若い子から言わせたらきっと老害。
それはさておき、今の教育と昔の教育、どうだったかな。
マンツーマンのテキスト指導
教えてもらった人は社員さんじゃなかったよ、今も現場で元気に働くおっちゃん。当時、職場から離れた部屋でソファー席向かい合って一対一。敬語の使い方間違えるたびに怒られた。「違う!それも違う!」
新人指導してくれた人と今も一緒に働けてるって凄いな、いろんな意味で。今も可愛がってくれてます。
テキスト指導の後、現場での教育
現場教育は適当だったなぁ。ベテランパートさんとペアでお仕事。数回の研修、全員先生違ってみんないい!まではいきませんね。
なんだこの人!っていましたね、新人に求める内容じゃないそれ!ってこともありました。研修終わったら絶対辞めてやる!の決意から約20年、バカは私だった。
現場は忙しすぎて修羅でしたが楽しかった。今の現場は暇で病むレベル。ダメだね、適度に忙しくないと。
現場教育のテキストなんて最初無かった
今となっては考えられませんが、口頭での教育だった。先生みんな同じこと言うわけでもないので、戸惑いあったよ。教えられる側から教える側になっても戸惑いあった。
私が仕事慣れてもんにょりやってた頃、マニュアルが違う営業所からやってきて、自分の営業所流に仕上がって手元に届いた。
自由な職場だったなぁ(遠い目)。
厳しさと優しさ、通過儀礼って?
20歳そこそこ、生意気盛りの私に厳しくしてくれた人って記憶にしっかり残る。ムカつく思い出もあったかな(そんなになかった)通過儀礼(新人教育)を経て先輩方と一緒に働くという事。足並みをそろえるという事。
厳しく大変な職場ほど通過儀礼(新人教育)が厳しいと何かの本で読んだな。
貴方の欲しいものは『影響力の武器(第三版)』優秀で結束した集団を持続させることに腐心する集団の場合、苦痛を要求するような加入儀礼は簡単にはなくならないようです。
影響力の武器より引用
本に取り上げられていたのは民族や団体についてだったような?(手元に本が無くてごめんなさい)いじめにも近い内容で読んでいて心も痛かった。死人も出してしまう民族の話など具体的にいくつも書かれていました。
人間が、苦労して手に入れたものにより行為をもち、またその価値をより信じるようになる生き物である以上、これらの集団は努力を要する困難な加入儀式をきっと続けていくでしょう。
影響力の武器より引用
苦労して手に入れる。手に入れたから手放さない・手放せない。厳しい人から育った人は、その人も厳しくなるのかもしれない。私の先生優しかった、いろんな意味で。私自身も指導は厳しくない、いろんな意味で。
通過儀礼って運も左右される?
学んだことまとめてみた『心理と教育へのいざない(’18)』【放送大学】理由はなんだろう
教育の始まりとされる理由は何だろう。人は一人で生きられない。集団で生きていく上で必要なものが「通過儀礼」乗り越える壁のことかな、ハードルかな。壁をよじ登り、ハードルを飛び越え、ゴールに一歩近づいていく。
ゴールにたどり着くまでの「目的」「手段」だったりするのかな。もうちょっと考えてみます、とりこでした。