人って「やらされている」ことは続かない

とりこです。

今日読んだブログに「街中でマスクする人が減ってきた。」あ、なるほどなと。人は強制されることを嫌がる生き物だったよな、なんて。

やりたいのか、やらされているのか

マスクのことは一旦置いておいて、ブログや手紙の話になりますが「やらされていることはいずれやらなくなる」仕事もそうだよね。

ブログのリライトも、手紙を書くのも、ノートにもやもや書くのも「やりたいからやってる」無意識のうちに、呼吸をするように。

便せん・ブログと向き合う日々が始まろうとしている

無理に続けることもないと思う

2対6対2の法則、やりたくてやっている人2割、どっちでもいい人6割、やりたくない人2割って考えたら気が楽にならないかな。毎日8時間PCの前でつらつら書き込むことは「やりたいこと」なんですよ、書きたいんですよ。

なんで続かないんだろうって考えたら

それってやらされてない?って立ち止まってみるといいかも。手紙ブログ書いてますが、書かないときは1ヵ月ぐらいまったく書かないし、相手から欲しいと催促されてないのに書けるって凄いな自分。

書いてくれってお願いされたら書けないかもしれない、むしろ。書きたくて仕方がないんだよ、これも一種の病気なのかもしれない?なーんて。

相手がやりたくなるようにするには

職場で仕事をお願いするときは、万全の状態でお願いしないといけないよ。なんて誰かが言ったような。

仕事上で助けられてきたから「今がある」忘れずにいたい

マスクひとつにしても、付けたくなるようなマスクや、家族や友人の気配りひとつで変わってくるのではないかなと。(たいやきマスク付けたい)たしかにこれからの時期暑いけどね。家族の中にマスクを付けない人がいるのであれば、なぜ付けないのかしっかり聞くこと、そこからじゃないかな。

全員気にしない家族だったらアレですが…(なくはないと思う)

押さえつけられたものは、いずれ爆発する

自粛の中で我慢していたことの一つが「マスクの着用」だった人もいるわけで、絶対に付けたくない人も世の中にはいるんだよなって、心の中で思うだけでもやもやが0.5ミリぐらい落ち着くのではないのでしょうか。

もやもやを吐き出してみたとりこでした。